イスラムに興味がある友人夫妻と話をしていて、「深夜特急」の話が出まして。
その場では一緒に、アハハと笑ったものの、後でなんか違うと気付いたお話です。
「深夜特急」と言えば、バックパッカーのバイブル。
ステキですよねえ。あー旅したい。
友人のご主人様R氏が、こんな場面があったよと話したところが以下です。
イスラムの9月「ラマダン」月の断食中のこと。
朝から日没まで1ヶ月もの間断食する。
食べてもいい時間、日没には、一斉に食べ始めるのだが、みんないち早く食べたくて仕方がない。
もういいか、まだか、とお互いを見て牽制し合って、もう我慢できない、食っちゃえ!と一人が食べ始めると、それを合図のように一斉にみんなが食べ始める。
という場面があって、面白くて、という話。私も一緒にハハハと笑ったのです。
しかし後になって、あ、もしかして!と思ったのです。
R氏のあの笑い方、もしかして日暮れを待ちきれなくて、まあいいや!と若干ズルして食べちゃったと誤解いらっしゃるのではないか???
なぜそう思ったかと言うと、「深夜特急」の別の場面を、今度は私自身が覚えているからなのです。
それは、どこかイスラム圏で主人公が長距離バスで移動中のこと。
斜めに座るおじいさんが、突然靴を脱いで、ちょこんと座席の上に座って奇妙な動きを始めた。
あれは!
もしかして、お祈りしている?!
間違いない!
でも、イスラムではお祈りって、サウジアラビアのメッカに向かって、マットを敷いて立って祈るんじゃないの?
って気がつくと、笑いが込み上げてきた。なぜなら要するにそのおじいさんは「横着」をして祈っているんだ。
気がつくと祈り終わったおじいさんと目が合ってしまって、おじいさんがバツが悪そうにニコリと笑った。それを見てさらに笑った。
などと書かれていたと記憶するのです。
違う違う!違うのです。
おじいさんは「横着」をしていたのが「バレて」バツが悪かったのではなく、ただ単に祈っているところを外国人にじっと見られて、照れて笑っただけなのです。
うーむ、読み手によって、こんなにも変わってしまい、思い込み、人に伝わっていくのですね。
誰よりも作者沢木耕太郎氏本人が、そのように理解し、そのように描写しているのですから。
イスラム教徒が読むと、普通のことが、イスラムを知らない人が読むと変わっちゃうのね。
沢木耕太郎さん、大好きな作家さんです。特にスポーツものは本当に好き。未知の世界を沢山見させていただきましたわ。
しかし本日、訂正させていただきますね。
おじいさんの祈りについて:
ううん、違うんです。旅などの様々な理由で礼拝の方向「キブラ」(サウジアラビのメッカ)が定かではない場合、必ずしもそちらを向かなくてもいいのです。
また、礼拝の基本動作ができない状況では、それをしなくてもいいのです。
つまり、立てなければ座ったまますればいい。座れなければ立ったままでいい。立つことも座ることもできなければ、寝ていてもいい、手足が動かなければ目だけでもいい、目も動かなければ心だけでもいい。つまり1日5回の礼拝をできない理由は全くないのです。まったく。全然。一切。
だからおじいさんの礼拝は正しく、認められていることであり、むしろ後回しにせず旅行中でも時間通りにやっている方なのです。
それぐらい、礼拝大事。礼拝命。
ラマダンの断食について:
ラマダンの断食は義務。つまり「やらなければならない」こと。
どうして?
神がしろって命じたから。だからやる。
やってご褒美をもらう。この世のご褒美、あの世のご褒美。ちゃんと天国に入れるように頑張る、という意図の元、連日断食する。
日の出一時間半前から日暮れまで、断食を全うする。せっかく1日断食して、その1日のご褒美が貯まりそうな日暮れ時にズルするわけがないのです。ほんの数分早く食べて、その日1日の断食を無にするようなことはあり得ないのです。実際、時間を間違わないように、この時はいつも以上に神経質に時計を確認して、もう日が暮れたかどうか、周りに人がいれば確認もして食べ始めるのが普通なのです。
友人と話して感じたのですが、イスラムに興味がある方々でも知らないのですねえ、イスラムのこと。
これはやっぱりちゃんと伝えていこう、と思ったのでした。